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宝寿院 (津島市)[ほうじゅいん]
宝寿院(ほうじゅいん)は愛知県津島市にある真言宗智山派の寺院。山号は牛頭山。 == 由緒 == 寺伝によれば、弘仁9年(818年)にこの地を訪れた弘法大師が蔓延する疫病に苦しむ人々のために津島牛頭天王社(現在の津島神社)の隣に堂を設けて薬師如来像を奉って祈祷したものが始まりとされる。江戸時代、天王社には神宮寺として垣内に本地堂が置かれ、玉垣の西に実相院・明星院・宝寿院が並び建ち、神社から離れた場所に観音坊があった〔津島市史、pp.208〕 明治時代をむかえ、神仏分離に伴って神宮寺は全て廃されることになり、1868年(明治元年)旧暦5月から7月にかけて垣内にあった本地堂と鐘楼・宝篋印塔は破却された〔津島市史、pp.210-213〕。この際、宝寿院の住職であった宥三ら社僧の要請によって本地堂にあった本尊や経文などは実相院に一旦移されたものの、実相院・明星院の社僧が還俗を決めたことから同年8月に本地堂から移された仏像や仏画・宝器に加えて実相院・明星院の仏像なども宝寿院に移されることとなった〔津島市史、pp.213-214〕。なお、この頃すでに観音坊は無住だったため宝寿院の管理下に移された〔。宥三はその後、神社や本地堂の本寺であった宝生院に対して本地堂の再建運動を行なったが〔津島市史、pp.217〕、再建は叶わなかった。 この神仏分離の経過などを記したものとして「神仏分離顛末記宥三日記」が残されており、現在は津島市指定文化財となっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝寿院 (津島市)」の詳細全文を読む
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